映画

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

2019年 クエンティン・タランティーノ監督

60年代終盤のハリウッドを題材にした映画、
架空のTV映画俳優リック・ダルトン(レオナルド・ディカプリオ)と
そのスタントマン クリフ・ブース(ブラッド・ピット)の映画人生を描く内容だけど、
相変わらず編集でカットするようなところを繋げたような愉快なつくりで2人の映画人生を
薄っぺらく表現していて、相変わらず車で駄弁るシーンが多く、ネタ数も多く・・・、
ネタにハマらないと伝わりにくい感じ、
西部劇もアメリカTVドラマも好きな僕には風景もネタにも十分満足するものがあったし、
リックの傷心に触れるところが「大脱走」でわざわざ合成映像を作ってるとこには笑った。

ただ、この映画には劇中では全く語られない隠れた主題があり、所々微妙に不自然に入れ込まれている。
数名実名の俳優と監督が登場するが特に主役と絡むこともない、単に当時のハリウッドのスポットライトの
中を歩いてる人達とピークを過ぎた主役2人との対象として描かれているようにも見えるが実名が出ている
俳優や監督は共通点がありこの映画で最も不自然で不要な演出"日付のタイプ"でこの映画のサスペンスたる
隠れた主題が演出され続けている。

見える主題の2人の映画人生の中で映画界の風景のほかヒッピーやベトナム戦争のラジオ放送など60年代の風俗も
描かれていて隠れた主題のパーツを表現し、チャールズ・マンソンの訪問も突然ぶっこまれ、日付も変わらんのにやたら
タイムスタンプを押してくる演出がおかしな主張を初めて…いよいよかと思ったとき、襲われるのはリックの家・・・、
あれ?
気が付いてここまで観てる観客も欺き、ハンマーで頭を砕くように不要に過剰な暴力描写をぶっこんできます、
それゆえか、隠れた主題をちょっと忘れクリフが救急車で運ばれ落着したことに安堵すらします…、あれ?

1969年8月9日 
俳優リック・ダルトンは事件を伺いに来た隣家の映画監督ロマン・ポランスキーの2人目の奥さんシャロン・テート
自宅へ初めて招かれる…計5人。
映画はここで終わり。

目立つものをフェイクに置き本筋に馴染ませつつ芯をずらして欺くといった演出はサスペンスではよくあるけど、
題材を語らないでフェイクだけしかないのは初めて見たは。

映画

レモ/第1の挑戦
1985年 原作小説シリーズがある 
ガイ・ハミルトンは「007ゴールドフィンガー」とかを撮った監督

国家の秘密任務に就くために有無を言わさず死んだことにされ顔も名前も変えられた男"レモ"の
韓国発祥の武術"シナンジュ"の修行と師匠チュンとの師弟関係を主軸に、
SDI構想(通称スターウォーズ計画)など時事を取り入れ007的な策謀を阻止するストーリー。

おっさん版ベスト・キッドと言ったところ。
個々のカットやネタが丁寧に作られていてそれぞれ面白いんだけど、
丁寧すぎて逆に映画のテンポを悪くしてる感じ。
テンポを悪くしてはいるけどキャラクター性を表現するに十分で、テレビドラマ向きな脚本だと思った。

謎の韓国発祥の武術シナンジュはアジア圏の武術全ての源流だそうで…何か笑える、
劇中であらゆる歴史の影で暗躍してる武術と師匠が豪語してたりなんか少年漫画っぽさがある武術。
「鉄砲弾よける」っていうネタから観たけど、きちっと理屈が付けてあるのには驚いたw、
弾を超スピードで避けるではなくて銃を撃つ動作から弾道と発射を見切って避けるという理屈、
シティーハンターが丸パクリしてたと思うが違ったか?。

師匠チュンは韓国人らしいがなんか謎のアジア作法で暮らしてるシナンジュ・マスター、
セリフの端々で古い考えに縛られてはいるキャラクターの印象をうけるけが
TVドラマにはまっているなど現代的な部分とのミックスが面白いキャラクター。
ヒロインで「スタートレックボイジャー」のジェインウェイ艦長を演じたケイト・グレマーが出ていた。

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月に囚われた男
2010年のSF映画 原題は「MOON」

デヴィッド・ボウイの息子ダンカン・ジョーンズ監督の初長編映画
邦題は親父の映画「地球に落ちてきた男」のもじりかな?、
観終わると結構いい邦題を付けたなと思った、B級映画にはいい邦題付けるのになんで
話題性の高い映画はしょぼい邦題ばっかりなんだろうか?

地球がエネルギー危機に陥って、月の裏のヘリウム3採掘で危機を乗り切って数年。
1人の男が月の裏の採掘基地で3年契約でAIのサポートの元仕事をしている。

似た構成要素やアイデアの作品は多いけど全員優しくするとこうなる、
っていう低予算のアイデア勝ち映画。
描写されてる範囲だけで映画を見てしまうと彼サムとAIガーディと4台の採掘機械では
地球全土のエネルギーを賄うのは到底無理なのは明白、
けど自分たちがクローンであり「秘密の部屋」を発見するところまで映画を観ると
月面上の世界観を想像できるようになる。
サムは自分の採掘場の範囲外のことは全く知らず、何千人も複製のサムがいるということは
月面上に同じ採掘場が農場のようにある・・・のでは?という想像。
最後まで観るとやべー事になってる作品全体の世界観が想像ができるようになる。
前回のサムが妨害アンテナを壊したことにより次のサムは通信が自由になり自分の現実を知る…、
んじゃないかな、というところで映画は終わり。

基地セットを丸ごと作ったり製作費がかかってそうだが全部スタジオ撮影の低予算映画、
低予算故に見る側に補完をお願いするような片手落ち感はあるけど設定はセットのそこかしこに
置かれているのでちょっと巻き戻して見直すとかを繰り返すと持ってる世界観が見えてくる。
冒頭から「ん!?」ってとこがちりばめられていて、ワザとやってる。

自分自身と対峙するアイデアは多々あるけど、この映画では喧嘩はするものの
ごく普通の労働者であるサムがどっちが一番ともめて殺人をするって展開にはならず、
またAIのガーディもすごくいい奴、複数のサムがいようとサムを全員守るのが仕事という
姿勢を崩さずサムの生存を第一に考え独自の考えでサムに協力しさえする、優しい奴しかいない。
サム・ロックウェル一人二役がすごくよかったが、SF映画的にはガーディがすごく気に入った。

この映画は変化球のループものだは。

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ズートピア
2016年ウォルト・ディズニー・スタジオ

ディズニー映画はあんまり観ない。
・なんかすぐミュージカルをはじめてキャラが勝手に自己満足して置いてけぼりになる。
・時々説教臭い。
・実写はマジつまらんものを作りがち。
・実写をつまらなく作る天才、コンテンツクラッシャー。
のような感想なのであまり観ない、アニメはそうでもないけど子供率が高すぎなので映画館にはいかない。
正直言うとディズニーのミュージカルシーンは実写映画の不用意なS●Xシーンと同じだと思っていてただのごまかし。

公開当時面白そうだなぁと思いつつ観に行かないでそのまま忘れていた、
絵はいいなと思っていたのでイメージ集は当時に買っていたりする。

退屈な時間が1秒もない映画。
箱庭的で楽しい映画なのだがテーマパーク的に人間社会の縮図を上手に構成していて意外と複雑な世界観を持ってる。
すんなり入っていけるのは主人公のうさぎジュディを旨い事作っているからで彼女の願望の目線から始まって上手に
ズートピアの世界感とその現実を見せていっていく演出が見事にはまっている。
映画序盤ジュディは中々警察官の仕事をさせてもらえずじれてるところで転機が訪れると刑事物へガラッと様変わりする、
ハリウッド映画でおなじみのバディ刑事物の掛け合いの楽しさを中盤以降は見せつつ人種間のいさかいを肉食・草食と
友達という構図で和解と協力を見せクライマックスへもっていく。
結構内容が盛りだくさんで持て余す量のように見えるが上手に演出されているところに関心した。
一番関心したのはミュージカルシーンでごまかさずに一つ一つ言葉で表現してたこと、ニックの告白にグッと来た、
あれで歌ってたらドン引き間違いなし。

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レイプキラー
2006年のカナダの映画

「Unnatural & Accidental」不自然&偶発的でいいのかな、原題はそういうタイトル。
カナダの連続殺人事件の犯人ギルバート・ポール・ジョーダンの事件を元ネタにしてるらしいけど
事件よりも貧困層に先住民の売春婦が多いことや依存症ついての問題を取り上げたい映画らしい、
しかし冒頭から変なスピリチュアル展開をしていて何を問題提起したいのかが不明な映画。

ネタになった事件は毎日1.5ℓもウォッカを飲むアル中のジョーダンと酒を飲んだ人がバタバタと
急性アルコール中毒で亡くなるという、連続殺人か?と言われると首をかしげたくなる事件。
ちょっと調べてみたけどたいていこの映画に引っ張られた解説でシリアルキラーに仕立て上げられてるのが多い、
逮捕され裁判された割に供述から明らかになる殺人の手法とかシリアルキラーの話に付きものの
マニア編集の嬉々としたテキストが見つからない、それほど話がないらしい?。
彼と飲んで亡くなった人は男も売春婦じゃない女性もいるのでことさら先住民女性専門ってわけでもなく
その理由も語った節が無いので、結果的に彼の酒に付き合うのが売春婦しかしかいなくなって
そこには先住民の女性が多かったというだけの話…な気がする。
特異なタイプの犯罪者?

そんなネタを基にした映画は冒頭からババアの裸(主人公の母らしい)で始まる謎のスピリチュアル展開。
主人公はよくわからんけど母親を探す20代後半の先住民系の女性で治安の悪そうなダウンタウン
1人でフラフラと探し回る、警察いけばいいじゃんとかもっと適切なのあるやろって思うけど、
まったくそういうことはしないで朝から晩までフラフラ歩き回って勝手に疲弊して酩酊して幻覚・幻聴がでちゃう始末、
一方でシリアルキラーも同じ街で殺人を繰り返していて、こいつはどう見てもババア専の変態野郎で
違った意味でみてて気持ち悪い、主人公はそういう事件が起ってることも最後まで知らぬ存ぜぬ…。

そんな感じで全く接点なく終盤までいったとき突然の超展開でシリアルキラーと主人公が遭遇し、
そしてこれまたなんでかスピリチュアルなお告げで?で主人公がシリアルキラーをぶち殺し映画が終わる。
なんで?意味わからん。

原題の方がぴったりで主人公が支離滅裂で行動が不自然&偶発的な映画。
「レイクエイム・フォー・ドリーム」みたいな映画を作りたかったのかな?と思ったが
テーマが定まらずどれにも当てはまらない全く関係ない主人公を据えて点々バラバラ。

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「ハッピー・デス・デイ」「恋はデジャ・ビュ」

「ハッピー~」2017年の映画「恋は~」は1993年の映画
どっちもタイムループもの、映画・ドラマ・アニメで度々題材にされ主人公が人生を見直すオチになるおなじみのハートフルSF。
「恋は~」はこの手の映画の代表のような作品。

「ハッピー・デス・デイ」
ツリーは性に爛れた生活を送るビッチ女子大生、誕生日に見知らぬ男子寮のカーターのルームメイトのベッドで目を覚まし
以後自分が殺される同じ日を繰り返す。

「恋はデジャ・ビュ」
気象予報士のフィルは毎年2月2日に開かれるのペンシルベニア州パンクスタウニーで開かれる聖燭祭の取材に訪れていた、
祭りを取材し1日を終えたフィルは帰路に就くも吹雪で道路が封鎖され元の町で一泊することになる、
就寝し朝6時に目を覚ますと2月2日だった。

Netfrix「ロシアン・ドール」の起点は誕生日パーティのトイレで一緒に解決するバディを得るまで数話かかっていた、
「恋はデジャブ」では決まった終わりはなく聖燭祭の午前6:00のベッドでの起床に戻され協力者は登場しない、
この映画では殺されて最初の時間に戻り終盤以外は「恋はデジャブ」と同じようなプロットと配役で話が進む、
「恋は~」では嫌味な性格の天気予報師の男だったが「ハッピー~」ではビッチの女子大生で、そのキャラクター性を生かした
ループ生活を行っていて何度繰り返してるのかは明示されないが繰り返し落胆した末に自分を顧みるようになる。

殺されて最初に戻るってシナリオ構成は最近の映画のゲーム的なシナリオに追随するもので、
ループの理由と解決策が判明していていくプロセスを中心に話が進み展開がスピーディ。
反対に「恋は~」は物語性を重視していて細かい描写やカットが丁寧に作られ明示しないまでも繰り返した時間が
「とても長い」ってことを暗に示していて脱出を目的にしなくなる、下手したら彼は5年くらい同じ日を繰り返してる気がする。
2本の映画を見るとそれぞれ違った切り口なのは当然だが時代によってニーズのある脚本が違っているのが良く分かって比較すると面白い。

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ポラロイド

2019年の映画 ラース・クレヴバーグ監督が2015年に撮影した同作を長編へセルフリメイクした映画。
短編は評判が良く賞もとったがそうだけどこれは…
残念…
映画のプロットは良く、「人を殺すカメラ」なども良かったが肝心のカメラのキャラクター性が甘く
ただの無差別殺人鬼になっている、
撮った映像のワンカットの意味についてあまり深く考えないタイプなのかなと思った。

殺人犯が自分の所持するカメラで自分の殺人を撮影する、いわゆる"トロフィーを残す"行動を
このカメラが担っていて犯人の死後も乗り移った怨念が撮られた人間を殺す…という感じものもだが、
こういう殺人犯をツールとして扱う時、大抵の場合はその手順や日など"自分ルール"を重視することが多い。
現実の殺人犯もそういうタイプが多いらしく厳格に守るが故に発覚しにくく乱れたときに
逮捕されることが多いらしい。
が、残念ながらこの犯人は激情タイプらしく殺しにルールがなく撮影というルールはあるものの
被写体以外には興味がないらしい、自動攻撃型スタンドのようなやつで勿体ない。

ただ映画後半、殺人犯の動悸やカメラの背景について語られる解明パートに移ったとき、
これが連続殺人犯の物で殺したい4人を順番に写したが1人を殺し損ねていて存命中だという
ゲームセットの”ルール”が発覚する、だがしかし、これをこの映画は見事にスルーする!?、なんでや…。

結局、カメラの怨念は自動で人殺しをする機械となっていて、唯一の倒し方が、
前半で物凄く大雑把に関係者全員がカメラの怨念を理解し覚悟を決めなければいけなくなる出来事、
写真を燃やすとなんでか被写体も燃えるという唯一の条件を頼りに怨念を写して燃やし怨念を倒すわけだが、
残念なことに監督がカメラの怨念に取りつかれたらしくカメラ事態を川にただ捨てる…という
どのキャラクターの心情にも立っていない行動で映画が終わる。

 

映画観てる最中は上のように考えていた…

ただ文字にしてみると、

都市伝説は、1200文字程度の作文の中に「連続殺人犯の持ち物」「殺人を記録したカメラ」
「4人のうち1人を殺し損ねてる」「終わらせ方」といったバラバラのワードを入れ込んで、
フワッとまとめて話を投げっぱなすのが都市伝説の伝説たるところ、
この映画もそういった筋立てに忠実ではあるので、正解の一つかなと思ったが、

なんかね。