映画

ポラロイド

2019年の映画 ラース・クレヴバーグ監督が2015年に撮影した同作を長編へセルフリメイクした映画。
短編は評判が良く賞もとったがそうだけどこれは…
残念…
映画のプロットは良く、「人を殺すカメラ」なども良かったが肝心のカメラのキャラクター性が甘く
ただの無差別殺人鬼になっている、
撮った映像のワンカットの意味についてあまり深く考えないタイプなのかなと思った。

殺人犯が自分の所持するカメラで自分の殺人を撮影する、いわゆる"トロフィーを残す"行動を
このカメラが担っていて犯人の死後も乗り移った怨念が撮られた人間を殺す…という感じものもだが、
こういう殺人犯をツールとして扱う時、大抵の場合はその手順や日など"自分ルール"を重視することが多い。
現実の殺人犯もそういうタイプが多いらしく厳格に守るが故に発覚しにくく乱れたときに
逮捕されることが多いらしい。
が、残念ながらこの犯人は激情タイプらしく殺しにルールがなく撮影というルールはあるものの
被写体以外には興味がないらしい、自動攻撃型スタンドのようなやつで勿体ない。

ただ映画後半、殺人犯の動悸やカメラの背景について語られる解明パートに移ったとき、
これが連続殺人犯の物で殺したい4人を順番に写したが1人を殺し損ねていて存命中だという
ゲームセットの”ルール”が発覚する、だがしかし、これをこの映画は見事にスルーする!?、なんでや…。

結局、カメラの怨念は自動で人殺しをする機械となっていて、唯一の倒し方が、
前半で物凄く大雑把に関係者全員がカメラの怨念を理解し覚悟を決めなければいけなくなる出来事、
写真を燃やすとなんでか被写体も燃えるという唯一の条件を頼りに怨念を写して燃やし怨念を倒すわけだが、
残念なことに監督がカメラの怨念に取りつかれたらしくカメラ事態を川にただ捨てる…という
どのキャラクターの心情にも立っていない行動で映画が終わる。

 

映画観てる最中は上のように考えていた…

ただ文字にしてみると、

都市伝説は、1200文字程度の作文の中に「連続殺人犯の持ち物」「殺人を記録したカメラ」
「4人のうち1人を殺し損ねてる」「終わらせ方」といったバラバラのワードを入れ込んで、
フワッとまとめて話を投げっぱなすのが都市伝説の伝説たるところ、
この映画もそういった筋立てに忠実ではあるので、正解の一つかなと思ったが、

なんかね。